最近好きだった作品を読み返しておりました。

先日、芥川龍之介の誕生日をGoogleで偶然知り、「杜子春」を読みました。
忘れたくないな、とふと思い出し、小泉八雲の「草ひばり」「停車場にて」を読みました。
どれもすばらしい作品です。


人間関係が軽薄になるように感じる現代で、いつか読者たちがこうした物語の
登場人物たちの心情を理解できなくなってしまう日は来るのでしょうか?
ふと、そう不安になることがあります。



「土に根を下ろし 風と共に生きよう
種と共に冬を越え 鳥と共に春を謳おう」
天空の城ラピュタの台詞です。
人間がどんなに便利な文明を手に入れたとしても、
人が生きるのに根付いて切り離してはいけないものがあると私も思います。
文明が便利になればなるほど、あるがままの苦楽を受け入れて生活しようととすることすら
忘れ去られてしまうような気がしてなりません。


コイルに磁石を通すと電流が発生するように、
世の中には変化するものを元に戻そうとする力が生まれる仕組みがあります。
例えばそれは増えすぎた人口に対してもあったとして、
それが戦争だったり、原子力だったりするのかな、と考えています。


映画ではこれを、
「どんなに恐ろしい武器を持っても、
たくさんのかわいそうなロボットを操っても、
土から離れては生きられない。」と解釈し、


フランス語ではこれを
「生きるために 死をまき散らす必要はなく
たくさんのかわいそうなロボットの必要はない
しかし人は大地から遠く離れて生きることはできない。」と訳しています。

生きるために死を撒き散らす―まさに3.11の原発事故を思い起こします。