昔の音源がふと、恋しくなって

今日は昔のゲームミュージックを流しながら課題をやっていた。
少ない音源ながら、伸び伸びと歌う楽器達に驚かずにはいられない。


最近のゲーム業界の事情は良く知らないけれど、あまり芳しくないのではないかと思う。
映像でいえば3D表現ができるようになり、
手間がかかりすぎる割りにゲームからの収入が見合っていないのだと思う。
音楽技術も進歩した。
昔の何ビット音源というのとは違い、今は現実さながらの音を奏でるようになっている。



でもなんだろう。
聴いていると昔の音楽のほうが生き生きしているように聴こえてしまうのはなぜなんだろう。



あの頃のゲームというものをふと考える。
ドラゴンクエストでいえば、例えばダメージを表現するのには、
ダメージを受けた敵を点滅させるだけのエフェクト。
ファイナルファンタジーはダメージを受けた敵に斜線を表示して、その後ダメージの数字を出した。
あんなものでも当時、ダメージを表現するのに、前例の無い中から
先人たちが頭を捻って生まれたものであることには間違いない。


ファミリーコンピューターで言う、8ビット音源の頃は
同時に4つ?までしか音を出せなかった。
例えばドラムだけでも数種類の音を出したいのに、
ベース、メロディラインも和音を使いたがった。
結果、他のパートの音を一瞬だけ使うのをやめて、
使いたい音を一瞬だけ和音にするということをしているようだ。
限界がある世界の中で、そういう工夫を織り込んだ結晶が私には美しく見える。


前例の無い中から新しいものを生み出そうとすることはとても大変なのだと思う。
それは経験したことが無い皆の意識や感覚を納得させるようなデザインだったり、音だったり。
ゲームで言えば、それはまだまだ未開発で、そして需要があったからこそ伸びたのだと思う。


映像も音楽も、ゲームのデザイン自体も未開発だったその時代、
開発者たちは歩いたことの無い道を手探りで、
でもきっと生き生きとした目で進んでいたんじゃないかって、
音を聴くだけでそう考えさせられてしまう。
誰も歩いたことの無い道を進むことは、大変だろうけどきっと楽しいことなんだろうと思う。



戦後の高度経済成長のように、
"無い"ことは、新しい力を生むモチベーションなんだと思う。
昔のゲーム業界の生んだ作品が、モチベーションに溢れていたのに対し、
現在のゲーム業界は収支ばかりに拘って、何の工夫も無いように見えてしまう。
昔のゲーム業界と今のゲーム業界は、
戦後の成長を争った時期と現代をそのまま反映してしまっているように感じる。


先人たちは、モノが満たされる時代を作ろうと
頑張ってくれたからこそ今日があるし、
私はそれに感謝している。
体験しないとわからないけど、
モノが足りないという時代に生きるのも、案外幸せなことなのかもしれない。
足りないモノを探さないと、探し続けないと、もう私たちはきっと満たされない時代に来ている。
今日はそんなことをふと考えた。